
食器作りとカレー会
自分でつくった食器だよ!
夏休みも終盤にさしかかった8月21日児童センターに通う
子どもたち16人と職員3人が公民館に来てくれて、公民館、
ひろば職員みんなで竹をつかった食器作り&カレー会をやりました。
竹の提供は和泉の内川さん。
かなり太い竹でしたがどの子も上手に竹を切ることができます。なぜなら今のノコギリはすぐれもので「竹用ノコギリ」の切れ味は抜群だからです。
太い竹を半割にして角にサンドペーパーをあてたり、節を残して切ってコップを作り、スプーンはスコップのような形でしたが、1時間かけてみんな自分の食器を作り上げることができました。
(途中、あまりにおなかがすいてふてくさる子もいたけれど)
カレーは地区の年配おねえさん(?)が愛情を鍋にそそぎこんで、それはそれは美味しいカレーをいただきましたよ。


熱気ムンムン 大合唱!!
~第2回公民館カフェ歌声喫茶開催~
「楽しかったからぜひまたやってほしい!」との声があちらこちらから聞こえていた「歌声喫茶」、12月21日、2回目を開催しました。
前回「歌集を見るとみんな下を向いてしまうから、スクリーンに歌詞を映し出してやったらどうでしょう。」の意見があり今回は歌詞を「パワーポイント」という機器を使って写したのです。
歌詞は前回30曲、いわゆる70年代の「フォークソング」が多かったせいか「タイトルは知っているけど自分で歌ったことはない歌」が多いと年配の方々の声があり「あゝ憧れのハワイ航路」「お富さん」「高原列車は行く」などさらに時代をさかのぼって大幅に計70曲で用意万端。
演者は前回同様、ピアノ星井さん、ウッドベースは77歳の丸山さん、ギターは公民館長の3人。
時間前から徐々に集まって定刻のころには会場いっぱいに参加者がつどい、スタート。
「ふれあい!」とリクエストがあり、続いて「あざみの歌、エンディングは『あああー』で終わってほしい。」などの要望が会場から出るなどだんだんとヒートアップしていき、「青い山脈」でピークに。2時間たっぷり、25曲の大合唱となりました。
やはり、顔をあげて歌うと声もよく出るようです。
市内の横田や波多、塩尻市などからも「新聞で知って。」と来てくれた人もいて「次回も必ず来るので倍賞千恵子の『下町の太陽』をリストに加えて下さい。」と言って帰っていかれました。

伝統を引き継ぐ
~第37回中山小学校手づくり教室開催 H30・12・20~
皆さんは縄を編んだことがありますか?
ひと昔前までこの中山地域ではしめ縄づくりが行われていましたが、だんだん廃れてしまい、このままでは大事な伝統文化が無くなってしまうという危機感から、子どもたちにこの技を身につけてもらおうと地域の大人たちが小学校に出向き縄を編んだり(縄ない)、正月用のしめ縄をつくったりする「手作り教室」が開かれており、今年で37回目を数えました。主催は子ども育成会。
「この前やって思い出したはずなのにもう忘れている~。」と先生方も悪戦苦闘するなかで「講師になったから家で練習してきたよ。」というH君は長い長い縄を余裕で編んでいました。
大人も子どもも半日を共に過ごし貴重な経験となりました。


千国街道「塩の道」を歩く
八月になっても今年の暑さは収まる気配をみせませんが「小谷(おたり)バスツアー千国街道・塩の道」が14名(内職員2)の参加で八月十一日に行われました。
当日は雨が心配されましたが当地はうす曇り。ガイドの田中さんのリードのもと栂池高原のバス停から「塩の道」を歩いていきます。途中、彫りの深い「百体観音」や咲き誇る野草のはなしや言い伝えなどを丁寧に話してくれます。
「この塩の道は沢山の塩を背負った牛、それを曳いてゆく牛方、そして松本からかえって来る様々な荷を積んだ牛と牛方でにぎやかな街道でした。冬場は歩荷(ボッカ)と呼ばれる人たちが五十キロの荷を背負って行き来したのです。」と説明がありました。
牛や牛方、ボッカの人達が寝泊まりした「牛方宿」や往来する人の関所となった「番所」跡も見学してその生活道具や日用品から当時の暮らしぶりを想像することができました。
「当然のことながら、当時塩は大変な貴重品だった。ゴザを出汁に使ったという話があるくらいです。人の汗がゴザに浸みて塩分をふくんで味があるから出汁に使った。」とガイドの田中さんはいうが本当だろうか。
考えてみれば味噌も醤油も塩が無くてはできません。これも大変な貴重品だったのですね。自らの生活を顧みました。夏の小谷の「塩の道」をゆっくりと散策しながらの一日は避暑と学習と適度な運動それに交流を兼ね備えた有意義な時となりました。













みんなで一緒に歌いましょう
第1回歌声喫茶をやりました!
7月に入って暑さが本格的になってきましたね。夏到来です。
公民館では毎週火曜日と金曜日の午後公民館「カフェ」を開店しています。
(中山地区地域づくり協議会活性化部会所属)
写真のようにメニューも色々あってどれも美味しい。1階ロビー片隅で普段はお店をやっているのですが、
「歌をうたってコーヒーを飲むのもいいんじゃない、むかし流行った歌声喫茶」
という話になりまして、せっせと歌集をつくりこの日に備えてきました。
昼過ぎから「カフェガール」と呼ばれるボランティアの女性方(平均年齢70前後)が準備にはいって、ワタシの友人であるピアノ弾きのアケミさんとウッドベース弾きの丸山俊治さんも来てくれて13時半から歌声喫茶開店。
中山地区の皆さん、それから地区外からの参加者あわせて30人。最初は戸惑っていた皆さんでしたが数曲歌うと大きな声が出るようになりました。
熱気に包まれてか汗をかきかき時間はすぐに過ぎていきあっという間に予定の時間となっていました。
*7月13日付けの「市民タイムス」の1面に歌声喫茶の様子が掲載されましたよ。




これはいったいなんだろう?
「公民館報」の取材のために中山小学校に出向きました。全校生徒111名。
今年度は各学年を館報で紹介するのです。取材係のTさんは「緊張しています。取材なんてはじめてですから。」といいつつ笑顔で1年生の教室に。
男の子8名、女の子10名、計18名の1年生。
「朝の挨拶」のあと、子どもたちは外へ。一人ひとりの植木鉢があり葉っぱが
咲いています。
「葉っぱの枚数を数えましょう。」と先生にいわれ子どもたちは夢中でかぞえています。「14枚!」「15!」。
「これはいったい何なの?」と聞いてみました。植物に疎い私は皆目見当がつかないのです。「あのね、それはねえ、先生が教えてくれないんだよ。」「秘密なんだって。」とのこと。
「ボクはきっとアジサイだと思うな!」「タンポポ!」などと声が聞こえるが果たしていったい何なのでしょう?
楽しい野外授業がおわり、2時間目は「プールだ!」みんな楽しそう!
小さな山あいの小さな小学校の一コマでした。
賭けない飲まない吸わない!
健康マージャンは
みんな笑顔だ!!

【人と人を結ぶ】
「健康マージャンを公民館でやることができたらいいなあと思います。」という声が住民から寄せられた。「家で一人過ごすより仲間と一緒に健康マージャンをやったら楽しいし、ボケ防止にもなるから。以前も公民館でやったことがある。」とその方は言われるので調べてみると4年前に講座が行われている。
さっそく講師の方に連絡を入れるとすぐに公民館に足を運んでくれた。
岡田和彦さん。名刺には「NPO法人健康麻将全国会(運営指導員)」「日本健康麻将協会(レッスンプロ)」等々の役職が書かれてあって、裏には「健康麻将(けんこうまーじゃん)の目的は人とつながることです。」と書かれてある。
にこやかな笑顔で岡田さんは「マージャンと聞くと何やら怪しいと思われるかもしれませんが、私が推奨する麻雀は健康マージャンという名の通りギャンブルでもなんでもありません。人と人を笑顔でつなぐ楽しくて奥の深いものです。」
【両面(リャンメン)待ちは幸せの形!!】
岡田さんのやさしくも熱い想いに突き動かされ講座の開講を決め「なかやまだより」でお知らせしたところ6人の申し込みがあった。週1回,10回講座。
「皆さん、健康マージャンは賭けない飲まない吸わないことが大原則です。そんなことをしなくてもマージャンはとても楽しい。だいたい賭けマージャンで勝つのは一人なんです。あとはトントンが一人、残り二人は負け、です。一人が楽しい。でも健康マージャンは4人みんなが楽しい。そこがとても大事なことで、全国的にもこのマージャンは普及しています。」から話は始まり、手の平を上にして牌をかき混ぜるマナー(こうすると混ぜても牌がひっくり返らない)から、自分の牌をオープンにしてルールや牌の名前、何を捨てて何を残すのか、などを話された。その後何度か回数を重
ね、「今の段階でおぼえること、それは【両面(リャンメン)待ちは幸せの形!!】 それと【孤立牌はいらない!!】これをおぼえて下さい。」
その後、7枚オープンマージャン(牌を見せる)からいよいよ、隠すというか、まあ、普通のルールに近づいていき、講座3回目を迎えた先日は9人に受講生は増えていった。
隅の方に遠慮がちに座っている年配の男性に「そんなところにいないでこっちに来て、一緒にやりましょうよ!」と声をかけると「いや、今日は様子を見に来ただけだから」と言っていたが、それでもと誘うと「それじゃあ、、、」と卓に加わってくれた。この人が強い。「話を聞くと大ベテランだ。
その人の口も滑らかになって初心者の僕にとっては宇宙語にしか聞こえない「専門用語」がほかのベテランの人も加わって卓の上に飛びかい一気にこの場は雀荘並みの雰囲気を醸し出したのだった。
そして「役」ルールが出てきて頭は混乱する。この前まで「字牌」は捨てろ、と教えらたのに字牌の「役」が出てきた。
先生によると「日本のマージャンの役は48ですが本場中国ではこの倍の役があります。」この日は「役」も少し覚えてだんだんと健康マージャンも進化していくのであった。

スキップ楽団がやってきた!
6月10日(日)大阪を拠点とする幼児向け音楽グループ「スキップ楽団」の公演が中山公民館でありました。
会場には幼児を中心に小学生も、そしてもちろんお父さんお母さんも約80名ほどの参加。
スキップ楽団は男性三人、女性一人のグループです。エレキバイオリン、キーボード、ドラムス、アイリッシュハープ等の楽器を自由自在にあやつりながら、世界の音楽、手遊び歌、音と絵のクイズそして会場と一体になった歌の数々を披露、シャボン玉が無数に飛び出してきた演出には会場から大歓声が上がりました。
多くの子どもたちの歓声と笑い声と笑顔があふれたいっときをみんなで共有することができてよかったなあと感じました。


トマトがぐんぐん伸びてゆく!
【3万9千個?のトマトが実るかも、、、】
6月2日(土)朝、中山和泉地区の加工トマト畑に15名のおじさん、おばさんが集合した。前回苗を植えてからそんなに時間が経っていないのに、苗は元気に成長を遂げている。高さは50センチほどか。その数1300本。よくわからないけど一本に30個実るとしたら、なんと3万9千個のトマトが実ることとなる。
今回の作業は畝と畝の間に黒いマルチシートを敷き詰めて、ペグで固定し草対策をすること。
「ここに書いてあるように畝の長さ70m、これが9畝です。この両脇に肥料をまいて、そのあと今かぶせてあるシートの端を土からはがして下さい。そして新しいシートの端を重ねて金具で固定します。以上。」とトマト会長のFさん。

【630mの畝】
以前書いた記事に「畑の長さは30m位か」と寝ぼけたことをかいてしまった。70mもあったのだ。一本の畝にすると630mの長さになる。これを一人二人でやれと言われたら困るがこの日は15人の仲間がいるのでどんどん進んでいく。中腰の態勢が慣れなくてきつい。運動不足も痛感する。農家の人達の苦労を思う。
そして3時間かけて全面をマルチシートで覆うことができた。軽トラにシートを張った急ごしらえ の休憩所でお母さんたちの手作りのおにぎりや煮物、漬物、ミカンをみんなで頂く。冷たいお茶が有りがたかった。まだまだこれからも作業は続くのだ。




史跡愛護会視察研修レポート
5月25日(金)いい天気に恵まれて朝からバスに乗り込み史跡愛護会の研修に出かけた。この前の研修の時といい、このところ天候に恵まれている。参加者は職員2名を含む31名でバスはほぼ満員。行先は南信地方の喬木村。松川ICで高速を降りて農村交流研修センターに。ここで村の概要や歴史、村おこしの取り組みなどをNPO法人の方から説明を受けたのちバスに乗り込み村内の名所をまわる。
【九十九谷森林公園】
まずはくりんそうの群生地を散策。森の中の湿地に色とりどりのくりんそうが咲き誇っている。
「これが目的で参加したのよね、私たち!」と木道を歩く女性の声が聞こえてくる。
「お寺の九輪に似ているところからこの名前がついたのよ。」と教えてくれた。
「あらーあそこに勿忘草が。」青い小さな花が群生している。僕にしてみたら勿忘草と言えば菅原洋一である。あれがその花だったのか。
「野草が好きなんです。」とその方は言われた。
【ポピー園】
次はポピー園である。高台の上に沢山の畑があってその先にポピー園はあった。一目4万株。
赤い妖艶な花が群生している。団体はバス1台2000円。個人では一人500円で花を摘むことができる。このお金は維持費に使われてテントで受付をされている方はボランティアでローテーションを組んでいるとか。
「今咲いている花を摘むんじゃなくて蕾を摘んで下さいね。花瓶に水をいれてさしておくと1日2日で花が咲きます。御一人10本までです。」と言ってハサミを渡してくれた。
一本二本持って帰るかあ、、、とあまり採る気はなかったのにハサミで採りだすとだんだん欲が出てきて沢山切った。明らかに10本以上ある。これくらいでいいかと思ったら受付のおじさんもしまいには「何本とってもいいですよー。」に変わった。
【阿島傘伝承館】
かつて喬木村は傘の産地で100軒以上も傘づくりに分業で携わり年間30万本も生産されていたという。それを伝えているのがこの傘記念館で建物自体も和傘の形をしている。なぜ喬木村で傘の
生産が盛んになったのかというと、京都から来た旅のお坊さんが腹痛で苦しんでいたのを村人が助けた、そのお礼に傘づくりの手順と技を村人に伝授したのがきっかけとされている。
この記念館では傘づくりの技術の継承のために実際に傘づくりが行われている。いくつものパーツに分かれていてとても緻密な作業だが小学生も参加して村の伝承文化として大切にされている。
手づくりの和傘はどれも美しい。
今回はこのほかにも椋鳩十記念館や茶房にもお邪魔して余裕がなかったが見分を深め、住民同士の懇親にも役立った。
そして喬木村はこじんまりと美しい魅力的な村だと知った。村の職員の小沢さん、案内役ありがとうございました。
農村女性視察研修旅行レポート
5月22日(火)五月晴れのもと25名(職員2名含む)の参加で中山地区農村女性協議会主催の視察研修に行ってまいりました。行先は「駒ケ根シルクミュージアム」「養命酒」工場です。
青い空が映ってキラキラ光る水田、緑に萌える山々を横目にバスは駒ケ根の山腹に立つミュージアムに約1時間半で着きました。中央アルプスの眺めが素晴らしい。
ここでは全員山野草の繭クラフトを体験しました。コマクサ、カタクリ、チングルマの中から一人一選んで作るのですが、これはキットが用意されていて、花の形の繭をはがしたり、ハサミで葉っぱの形に切ったり、それをボンドで茎用の針金にくっつけたり悪戦苦闘30分の末に、まあ、なんと可愛い作品の完成です。
体験コーナーの隣には養蚕・製糸の歴史がよく理解できる常設展示場があります。「懐かしい!こんなの昔、家にあったよねえ。」という言葉があちらこちらから聞こえてきます。明治以降の近代の養蚕のみならず有史以来の養蚕の歴史がわかるようになっていて興味深い。
そのあとは食堂で昼食の時間。好き勝手にとってゆくバイキング(この呼び方はどこから来たのかねえといつも思う。)
うどん、そば、お稲荷さんからフライもの、ケーキからソフトクリームまでなんでもあるのです。窓から残雪の山々が美しい。
「子どもの頃、みんな家に帰ったらすぐに桑の葉っぱを取りに山に行ったよ。大事な現金収入だったからね。だからお蚕様って呼ぶんだ。畳をあげてそこでお蚕さんを飼ってさあ。思い出すよなあ。」としみじみOさんがつぶやきました。
お腹がいっぱいになったところでバスに乗り込み一路養命酒工場へ。お出迎えのお嬢さんに深々とお辞儀をされて工場内へ。そして10分間の映画鑑賞後 場内の見学に。広い広い工場で働いているのは120名だそうで、見事に瓶詰から梱包まですべてオートメー
ション化されております。
「新しい瓶のデザインになって売り上げが落ちたと聞いたんだけど、どうなの?」
と聞きにくいことをズバッと聞く農村女性の方もおられて養命酒ガールも「ええ、あの、えーっと、、、」と少し慌てていました。
その後お土産を売っている建物に案内され、お菓子、ジュース、お茶などそれぞれ好きなものを買っていましたが果たして養命酒を買い求めた農村女性はいたのでしょうか、、、
少し時間があったので帰りついでにご存知「かんてんぱぱ」にも寄ってここでもお土産を買いたい人は買って帰路についたのでした。農村女性の皆さんは、よくしゃべり、よく食べ、元気いっぱいです!




君は中山考古館に
入ったことがあるか
中山考古館に入った。中山に20年以上住んでいて初体験。恥ずかしながらこんな立派な博物館だったとは初めて知った。
横山館長が懇切丁寧に説明してくださったがなにしろ日が経ってしまったので得る覚えでしかないが少し記したい。
玄関入ると大きな陶板で描かれた壁、そして受付があり右手に数段の階段を上ると左に縄文時代の大きな土器がある。どれも器全体に装飾が施され華やかである。
中に底が明らかに安定しない逆円錐形の器を認めることが出来る。立てることのできな器、、、
「これは土の中に埋めて使用されたものだと思われます。家の入口近くに埋められてこれも想像でしかありませんが中には胎盤を入れていた、そしてそれは守り神に近い存在ではなかったか。」と館長が興味深い仮説を聞かせてくれた。
そして隣には弥生時代の土器。こちらの方は「シンプル イズ ベスト!」とこの時代の人たちは思ったのだろうか、土器の表面に装飾は極めて少ない。意外である。
「この時代になると水田が現れ土器は持ち運びに使用されるなど、より実用性が高まります。故に装飾は省略されていったと思われます。」と館長。
また内田地区のエリ穴(1200年も続いた!)遺跡から想像される生活環境の大きな模型も展示されている。
足を進めると古墳時代に突入。カマドや農具、工具も生まれ生活が変化していったことが一目で理解することができる。
他にも多種多様な展示がなされていて飽きることがない。どれくらい展示されているか?なんと3万2千点に及ぶ資料が所蔵されているのだ。
「中山は、向畑古墳群と遺跡、埴原城跡、埴原の牧など遺跡の宝庫です。できれば地元の皆さんにもっと来てほしい。そしてこの中山の有る地元の博物館の良さを感じてほしいですね。」と静かな表情でそして熱く語られた。
こんなにも太古のロマンにあふれた素晴らしい空間がこの中山にあったのだ。
家族で、恋人とも、あるいは一人でぜひ足を踏み入れて欲しいと切に願う。


活性化部会の
加工トマトづくり
H30.4.28
青く澄みわたった空が嬉しい4月28日、加工トマト栽培にむけての作業が始まりました。高齢者の生きがいづくりと休耕田を利用しての地域活性化を掲げて始まったこのトマトづくりも今年度で4年目を迎えます。
この日は20人ほどの参加者で畑(長さ30mほど 巾15mくらいかなあ)に肥料をまき、その上にマルチシートが機械で張られ(しかも耕しながら)そのシートの両側に少しの土で覆って固定する作業をしました。
少人数ではいつ終わるとも見えない農作業もみんなでワイワイガヤガヤとにぎやかにやると成果が目に見えて3時間ほどで終えることができました。
次回は苗を植えます。美味しいトマトが沢山できますように。
春の遠足に
ついていきました!
H30.4月吉日
4月末、少々雲がお日様を隠してくれ、歩くにはちょうどいいお天気の下、中山小(全校生徒111名)の縦割り遠足に途中から参加した。
私が参加したのは3コースあるある中山地区の南然内田地区の厄除見音として名高い牛伏寺〜フランダース階段工(重要文化財)と呼ばれる水路までの道のり、軽い散歩のようなものではない小学校からは往復10キロはあるので、思考する堂々と「遠足」と呼ぶにふさわしい行程である。さすがに1、2年生はこのコースには参加していない。
ガイドには樹木の専業家であり牛伏寺の歴史、建造、諸尊像に造詣が深い仙石鐡也さんが毎回ついて下さるように、今回は牛伏寺の入り口まで軽トラで先回りされていたがそれでも80歳を過ぎたとは思えぬ健脚ぶりで子どもたちの始めに立てて話しておられた。
先生方はお二人。疲れ気味の3年生を笑顔で楽しみました。
牛伏寺では普段は入れる事のない「奥殿」にも。みんな神妙に見学、それで鐘つき堂で全員一人ずつ「ゴーン」と突然してもらったのであった。(特別なんだそうで)
それは次は近くの「フランス式階段工」。
何度も洪水をくりかえし松本平に被害をもたらした牛伏(うしぶせ)川の治水のために、明治から大正にかけるこの美しい階段工は多額の建設費をかけて造られた。
「どうしてこんな階段にしたんだろうね」と児童に聞くと、みんなポカンとしていた一人の児童が「濁流のため」と静かに言った。理解しているのだ。
その後川陸出を歩いてから各グループに分かれてお弁当の時間。やっぱりこの時間が一番だよね。と思ったらこの後が大変な時であった。
みんな、水遊びを始めたのだ。少し足をつけるのもため「雪解け水だよ」(仙石さん)の冷たい。初めは足元だけだったが段々エスカレートしていき全身水に入る子もいて思って「わあー!」と叫んでした。着替えを持ってきているとはいえ大丈夫だよ。(後日聞いて誰も風邪などひかなかったそうでよりよかった。)
「いい人、大人になって、ここに来て水遊びのことを思い出すだろうね」と仙石さん。
子どもたちはまた濡れて重くなった服を入れたリュックを背負って帰って行った。
私は仙石さんの軽トラックで公民館に帰ってきたのでであった。


ああ...マレットゴルフ
H30.4.19 福祉広場お花見マレット
4月19日五月晴れの下、中山霊園コースで福祉ひろば主催のマレットゴルフ大会が開演されるときいて顔も覚えていてねばならない、こちらも覚えたいのはヒョコヒョコと軽い気持ちで出かけたら皆さん、マイスティック、マイボールは当前前にボールが2個と水筒(ペットボトル)等を入れたベルを巻いてまるでガンマンのようにありました。(中にはオーダーメイドもあるもの)この姿を見ただけで初心者の僕は恐れののきした。
三人組でコースを回ったのですが、皆さんホールごの特性を熟知されていて
「ここはね、あそこの土手をめがけて打つの、そうする、土手から転がっていい所にいっぱい」とYさんはやさしく教えてくれるのですが、ビギナーの僕にはできるはずもなく、うな垂れました。たまにマグレでいい所にボールが届くと「ホントに2回目?信じられないー」。どこでも限られたおかげで36全ホールをくらまして回ることが出来ました。おお、もう一人の一緒に回ったKさんは御年85歳にもかわらなくても膝がいたそうでしたがお元気にプレースされておりました。皆さん、シーズン中は毎日のように回っておられますよおです。まったくも参りました。なお僕は公民館の三人の職員(女性2)の中でも129打で3番目だ(全体で何番かはわかりません)ことを告げておきます。