周辺観光情報
松本市にある日本の城である。安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
松本市並柳にある古墳。東日本最古級の3世紀末築造の前方後方墳である。西日本でいう出現期・発生期古墳とほぼ同時期と推定される。 松本市南西部の中山の先端(弘法山、標高約 650 m)にあり、墳丘長 66 m、後方部幅 33 m 、前方部幅22 m 、後方部の高さ 6 m 、前方部の高さ 2 m 、葺き石が部分的に認められたが埴輪の設置や周濠などは認められなかった。
標高2034mの頂をもつ美ヶ原最高峰「王ヶ頭」を筆頭に、山上は平坦な台地状で、松本市、上田市、長和町にまたがり、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)のピークを含めて標高2000m付近に広がる一帯を「美ヶ原高原」と呼んでいます。 山上は「美ヶ原牧場」と呼ばれる牛の放牧地となっており、短距離から遠距離までバラエティに富んだ高原トッレッキングができるコースも整備されています。
松本市内田にある真言宗智山派の寺院。山号は金峯山(きんぽうざん)。本尊は十一面観音。鉢伏山(1,929メートル)の西側中腹に位置する。 寺伝では聖徳太子が42歳の時に自ら刻んだ観音像を本尊として鉢伏山に安置したのが始まりという。寺名については、756年(天平勝宝7年)、唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことから「牛伏寺」の名が付いたという。なお、参道途中に建つ牛堂には2頭の牛が祀られている。 古くから修験道の寺として知られ、県下で屈指の規模と文化財を誇る寺院である。
牛伏川フランス式階段工(うしぶせがわ フランスしきかいだんこう)は、長野県松本市を流れる牛伏川に設けられた、フランス式の砂防施設。延長141メートルの石張りの水路に、19段の段差が構築されている。国の重要文化財に指定されている。
松本市内田にある江戸時代の民家。松本市立博物館分館の重要文化財馬場家住宅として公開されている。 江戸時代末期の長野県西南部を代表する民家建築として、平成8年(1996年)に国の重要文化財に指定された。 馬場家の伝承によると、先祖は武田信玄の家臣、美濃守信春の縁者である馬場亮政とされ、天正10年(1582年)、武田氏の滅亡を機に当地を開発、この住宅の前身を建立したとされている。