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プロローグ
入居することになった市営住宅近くのコンビニの営業時間がそれまでの午後11までから24時間になったばかりだった。今から32年前の3月、そのコンビニでおにぎりを買って外に出ると、寒気が身を包んで空を見上げると星が瞬いていた。引っ越しを終えたものの、部屋は荷物が整理できてなくて、丸くなっておにぎりを4人で食べた。家族は僕と妻、6歳の長女、5歳の長男。それまでの生活にピリオドを打ち、夫婦とも仕事を切り上げてこの地に居を構えた理由を一言で言うのはむずかしい。金はない、知り合いもない中、不安もあったが、新しい暮らしを迎えられる期待感を僕は抱いていた。4月から僕は長野県技術専門校木工科に入学するのだ。32歳の春だった。バブルは弾けたが「脱サラ」がブームであった。そう器用でもない僕は、木工で家計を支えていけるなどとは到底思えなかったが、木工技術を覚えられること、技術専門校に在籍する1年間、雇用保険が適用されること、南国紀州生まれのないものねだりで信州の風景と寒さに身を置きたかったことなどがこの地を選択した理由だった。4月、入校式で県歌「信濃の国」の歌詞を書いた紙が木工科の離職者だけに配布された。県外者がほとんどで、この歌を知らないからだ。行事の度この歌が歌われたと記憶するが、県歌をこれほど県民が知っていて、歌い継がれているという県を知らない。そもそも他の都道府県に府歌や県歌があるのだろうか。
中庭の桜が咲いて、その向こうにまだまだ雪深い乗鞍岳が座っていた。
あれから時は流れ、子どもたちも巣立っていった。あれやこれやの出来事や、今、感じ伝えたいことをここで気軽に綴ることができればいいなと思うのです。
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