ヒューマンストーリー 小林弘也さん

小林弘也氏に聞く

この8月(R3)に松本市農業委員長を退任された小林弘也氏(75歳)にお話をうかがいました。




―長い間、農業委員として、ここ数年は松本市の農業委員長のみならず長野県農業会議副会長としての活動ご苦労様でした


「農業委員は6期18年つとめました。地区の活動をふりかえれば、20代のころから館報委員を10年ほどやりました。その後、民生児童委員を3期9年つとめました。今はほっとしているところです」

小林家の三男として

「私は農家の三男坊として千石地区に生まれました。父は中山村の役場に勤めており、父の地元の役に立ちたいという思いは子どもながらに感じておりました。


一番上の兄は自衛隊に入り除隊後も諸外国を飛び回って活躍しました。次男の征也も大手自動車メーカーを退職後、地域の活動に精を出し公民館長をつとめておりましたが、体調を崩しそのまま逝ってしまいました。征也は私と違い、生真面目な性格、温和で皆さんから親しまれました。二人とも家を出たので私が家に残りました。農業を継ぐわけですが、小さな田畑があちらこちらに散らばっていて、大した収穫量もありませんよ。食っていくのがやっとの農家です」


「実は登山をしていたのです」

「高校卒業後、実は私、人の紹介で井川城にある左官屋に就職しました。ところがそこの会社の親方が普段会社に出てこない。山登りに行ってしまっているんです。そのうち一緒に来いといわれ、私も休みの日は一緒に登るようになりました。






   








劍に登り、黒部を超え、大町に降りてくる、あるいは上高地に降りる、冬山に登り雪洞を掘り寝るなんてこともやりました。それと同時に会社の段取りなんかも任されるようになりました。









親方は山岳会をつくり日本中の山を登っていましたが、ヒマラヤで滑落して帰ることはありませんでした。仕事の大事さも自然の厳しさや優しさ、雄大さを知るいい経験をさせてもらったがそこは22歳でやめました。そして山もやめた。でもこの経験は計り知れないものを私に教えてくれました。それからは農業です」

 















―地域の活動を若いころからやられていたのですか


「はじめは、公民館専門委員会の館報委員になりました。そのころ公民館長は百瀬喜重さんがやられていて、私が多少、生意気なことを言っても受け止めてくれて、ありがたかったです。

30歳のころ中山の田んぼの土地改良がありました。

そのやり方に

ついて批判的なことを館報に書いたら力のある人からいろいろ言われました。でも全市版の担当もやらせてもらってとても勉強になりました。いろいろな人が集まってくるんですよ。話をする中でこんなことあんなことを中山でも出来ないかと刺激になりました」


伝説の「のんびり村」

「公民館報委員長をやっているとき西沢史次さんが文化委員長をやっていました。面白いことをやりたいという話になり、公民館主事の矢久保さんがイベントの全体像を描き横内聡明さんに実行委員長をお願いし、公民館委員の人たちに要所を受け持ってもらい「のんびり村」をやりました。

多い時は3000人くらい来ました。はじめはよかったのですがお金が動くなかで、ルールが崩れ5.6年は関わりましたが、私は抜けました」





「そば祭り」をやろう!

「そのころ農業委員になったのですが、荒廃地解消のための補助金や、地域づくり支援金を出してもらう制度を利用し、農作機械を購入し、5町歩ほどの畑でそばを栽培し始めたのです。それが今の「農事法人そば振興会」になっていったのです。そこで収穫したそばを百瀬喜重さんはじめ、中山の人たちに打ってもらい「そば祭り」は始まりました。今は市内外からたくさん人が来てくれてありがたいです。



当時、中山は鹿による田畑の害が叫ばれていて、小林氏は補助金制度を利用して山に柵を 張り巡らす活動を展開する


「荒廃地解消による有害鳥獣柵予算が近く廃止されると聞き,今のうちに整備しないと、中山の田畑は鹿にやられて大変なことになると危機感を持ちました。そば振興会の荒廃地解消実績もあり、補助金が出ることになりましたが地主さんたちの了解を取り付けなければなりません。一部反対もありましたがおおむね理解を得ることができました。町会連合会にも働きかけ、各町会で話し合いを持ち工事の合意を得てもらい柵を作ることになりました。非農家の方の協力もいただいて、とてもありがたかったです。みんなの力で2か月半、延べ1800人で中山の南から北まで13キロを完成させることができました」



「市街化調整区域」という壁を取り払わないとこの地域は生き残れない」


「中山をモデルにした調整区域での規制緩和に取り組むよう議員の力も借りながら、何度も要望してきました。

周りを見て下さい。今、そば振興会、御牧という農事法人2団体の会員で草刈りをやって、それで中山の農地の景観が保たれているのが現状なのです。今のままでは規制があって新しい人が新しい家を建てる範囲があまりにも少ない。中山に住みたい、農業もやってみたいという人は少なからずいるのです。

私は松本市の市街化調整区域と市街化区域の線引きをなくしたいと思い各方面に働きかけてきました。

市長は中山の特区構想に理解を示しています。やるなら今がチャンスだとも思っています。役職は退きましたがこの特区構想を実現するためにバックアップしていきたいと思っております」


 

                   




 【経歴】

 小林弘也(こばやしこうや)  

                    昭和21年生まれ(R3年現在75歳)

                    平成15年      松本市農業委員

                    平成24年~令和3年 松本市農業委員長

                    平成24年~29年   松塩筑安曇委員会協議会 副会長

                    平成29年~令和3年 同会 会長

                               長野県農業会議 副会長


                     現在 松本市中山に妻と二人暮らし


       


   

                    2021/9/02 インタビュー 聞き手 鈴木(中山公民館長)
















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